静岡市民なら知っておきたい。ような気がする。
この銅像、弥次さん喜多さんっていうんですけどどんな人たちか知ってます?
前回の記事で、やじさんきたさんについてあまりに知らな過ぎたので、なんとなく静岡市民として知らなくてはならないような気がして、調べてみた!
弥次さん喜多さんって、これこれ。
駿府公園のお堀の城内中学校らへんにある銅像。見たことありますよね?
夜中に散歩してると暗い中突然現れて、けっこうビビるあれです。
弥次さん喜多さんって、どんな人たちでしたっけ?
僕のおぼろげな知識では、江戸時代に東海道を旅したひょうきんな二人組って感じなんですけど…
せっかくなんで、周辺情報ちょっと調べてみました。
~Wikipediaより引用~
駿河国府中(駿府:現在の静岡市葵区)で町奉行の同心の子として生まれた。葵区両替町一丁目に、生誕の地の碑が建っている。本名は重田貞一(しげた さだかつ)、幼名は市九。通称に与七、幾五郎があった。酔翁、十返舎などと号す。
『東海道中膝栗毛』(とうかいどうちゅうひざくりげ)は、1802年(享和2年)から1814年(文化11年)にかけて初刷りされた、十返舎一九の滑稽本である。「栗毛」は栗色の馬。「膝栗毛」とは、自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意である。
大当たりして、今に至るまで読みつがれ、主人公の弥次郎兵衛と喜多八、繋げて『弥次喜多』は、派生する娯楽メディア類に、なお活躍している。文学的な価値とともに、文才とともに絵心のあった作者による挿絵が多く挿入され、江戸時代の東海道旅行の実状を記録する、貴重な資料でもある。
お江戸・神田八丁堀の住人、栃面屋弥次郎兵衛(とちめんや やじろべえ)と、居候の喜多八(きたはち)は、妻と死別したり、仕事上の失敗から勤務先を解雇されるなど、それぞれの人生で思うにまかせぬ不運が続き、つまらぬ身の上に飽き果て、厄落としにお伊勢参りの旅に出ることを決意した。身上を整理して財産をふろしき包み一つにまとめ、旅立った二人は、東海道を江戸から伊勢神宮へ、さらに京都、大坂へとめぐる。2人は道中で、狂歌・洒落・冗談をかわし合い、いたずらを働いては失敗を繰り返し、行く先々で騒ぎを起こす。
~引用ここまで~
かいつまんで言うとこういうことみたいです。
なるほどー!おぼろげな知識でしたがハッキリ理解できました!
十返舎一九(じっぺんしゃいっく)という名前の作家が書いた大衆小説「東海道中膝栗毛」。
その主人公ふたりが、弥次さん(50歳静岡市出身)喜多さん(30歳)。
仕事を解雇されたり、奥さんが亡くなったりと散々だった二人が出会い、江戸から大阪までの旅を面白おかしく描いた。
ウケにウケて大ヒットの超ロングセラーだったようで、当時の大衆の生活も垣間見える貴重な資料でもある、と。
つまりフィクションだったんですねー!架空の人物でした。
▲両替町にある十返舎一九の碑
でも作者の十返舎一九は静岡市両替町の出身で、本名は重田(しげた)さん。
同じしげたさんじゃないですかー!