駄菓子とは?そして未来へつなぐ。

駄菓子とは?

弊社では、ベビースターラーメンやさくら大根、おやつカルパスなど、さまざまな駄菓子を取り扱っています。ですが、「駄菓子ってそもそも何?」と深く考えたことのある方は、意外と少ないのではないでしょうか。私自身、このブログを書くまでは「駄菓子とは何か」について深く考えたことがありませんでした。ただ、子どもの頃から食べるのが大好きで、なんとなく親しんできた存在でした。

ですが、調べてみると、駄菓子には意外にも長い歴史と奥深い時代背景があることがわかりました。
知れば知るほど、その世界の面白さに引き込まれていきます。

そこで今回は、駄菓子の歴史や成り立ちについて、少し深掘りしてみたいと思います。

駄菓子とは、値段が安く、気軽に食べられるお菓子のことで、主に子どもを対象とした安価なお菓子を指します。そのルーツはなんと江戸時代にまでさかのぼります。

当時、米を使ったお菓子は高級品とされており、庶民の口に入るのは、麦・ひえ・あわ・屑米などを材料にした素朴なお菓子でした。また、白砂糖がとても貴重だったため、甘みといえば黒砂糖や水あめが主流だったそうです。

こうして作られたお菓子は**「一文(いちもん)菓子」や「雑菓子」**と呼ばれており、当時の1文は現代の数十円程度。今の駄菓子屋で売られている商品と近い価格帯だったことがわかります。

その後、貨幣の価値の変化により「一厘菓子」「一銭菓子」など呼び名は変わりましたが、いずれもとても安価に売られていたお菓子という点は変わりません。

現在のように「駄菓子」という言葉が使われるようになったのは明治時代。高価な材料を使った「上菓子(じょうがし)」に対して、比較的安価な材料で作られたお菓子には、「上」の反対の意味を持つ**「駄」**の文字が使われ、「駄菓子」と呼ばれるようになったといわれています。

一方、「お菓子」とは食味や嗜好を楽しむために調理された食品のことを指し、和菓子や洋菓子などさまざまな種類があります。実は、駄菓子も広い意味ではこの「お菓子」の一種に含まれます。

ちなみに「菓」という字は、もともとは果物を意味していたそうです。

「お菓子」には価格の定義は特にありませんが、駄菓子に比べると少し高価なイメージがありますね。

時は流れ、明治維新が起こると、社会の近代化が進む中で、

大都市へと人びとが集まり、欧米からの文化が次々と紹介される中で、ビスケットやチョコレート、ドロップといった洋菓子も日本に伝わりました。こうして、日本のお菓子文化は大きく変化し始めたのです。

さらに、19世紀末から20世紀初頭にかけて、日本の統治下にあった台湾やパラオ、サイパンなどでは製糖業が盛んになり、砂糖の安定供給が可能となりました。
砂糖が潤沢に出回るようになったことで、価格も下がり、お菓子の種類もどんどん増えていきました。

会社概要・沿革_あまのや繁田商店

写真サイト 会社概要・沿革_あまのや繁田商店

第二次世界大戦が終わり、砂糖の統制が撤廃された昭和20〜30年代では、戦後の復興が進むなかで、子どもたちの遊び場として「駄菓子屋」はますます人気を集めていきました。当時の駄菓子屋は、単なるお菓子を売る場所ではなく、地域の子どもたちが集い、交流し、ワクワクを共有する大切な“居場所”だったのです。
小さな手で10円玉を握りしめながら、どれを買おうかと迷う、そんな風景が、全国各地で見られました。

時代が進むにつれて、駄菓子を取り巻く環境にも変化が訪れます。
大手製菓メーカーの台頭や、スーパーマーケット・コンビニエンスストアの登場により、昔ながらの駄菓子屋や個人商店は少しずつ数を減らしていきました。

以前は、職人さんが手作りした菓子を小さな卸売業者が仕入れ、駄菓子屋の店頭に並べる、そんな温かみのある流通の仕組みが当たり前でしたが、今ではそのスタイルもほとんど見られなくなってしまいました。

お客様からも「最近はほんと、駄菓子屋さん減ったよね」という声をよくいただきます。
時代の流れとはいえ、やはり少し寂しさを感じます。

昭和20年代になり、子どもたちにとって身近なおやつ「駄菓子」が本格的に栄え始める中、江戸時代には「1文」で買えた駄菓子ですが、明治時代には1〜5厘、大正時代には1銭、そして昭和になると5銭と、時代が進むにつれて少しずつ値段も上がっていきました。

そして現代では、あの「うまい棒」もついに15円に。まさに、時代の流れを感じさせますね。

しかし、それでも、今でもうまい棒やチロルチョコ、おにぎりせんべいなど、100円以内で買える駄菓子はたくさんあります。
たとえば、500円玉のおこづかいがあれば、ちょっと工夫して買い物すれば10個以上の駄菓子を買うこともできるかもしれません。子どもにとって、ワクワクするような「選ぶ楽しみ」が今も昔も変わらずあるのです。

 

私たちは、ただお菓子を売っているわけではありません。子どもたちが目を輝かせながら駄菓子を選ぶあの時間。大人たちが懐かしい味に、ふと笑顔を浮かべるそのひととき。

そんな「選ぶ楽しみ」を、これからも世に残していけるように——

従業員一同、その想いを胸に、これからも駄菓子と共に歩み続けてまいります。

 

あまのや繫田商店 ブログ担当 スダ

ABOUTこの記事をかいた人

フリーペーパーの編集、量販店バイヤーを経験したのち、実家の家業である菓子問屋「あまのや繁田商店」を継ぎ4代目に。 旅とバイクとコーヒーが好き。