この記事は2013年12月に書いたものです。棒きなこ当ては、駄菓子屋4代目として “超重要駄菓子アイテム” と断言できる、
“駄菓子” というジャンルの根幹に関わる逸品です。
13年経った今、改めて徹底リサーチして分かった衝撃の事実——
箱に書かれた「どりこ飴本舗」の “どりこ” は、昭和初期に講談社が売っていた “伝説の清涼飲料” に由来する可能性が高い。
西島製菓・棒きなこ当て・どりこの、この3つの関係を含めた徹底リサーチ結果を
記事末尾の「棒きなこ当て 徹底リサーチ」にまとめました。
正月っぽいお菓子?ということで、当店には駄菓子屋らしく、レジでひと手間かけて販売する商品が色々あります。
西島製菓「棒きなこ当て」はそのひとつで、子どもたちの超人気商品のひとつです。
きなこを水あめで固めたお菓子で、これが結構旨い。
一本10円、串を抜いて赤い色が付いていると当たりで、もう一本もらえます。
メーカーは墨田区錦糸、スカイツリーの割と近くです。
駄菓子メーカーは大阪名古屋が一番多いように思っていましたが、墨田区にも多くありますね。
こちらも工場見学に伺いたいものです…
【2026年追記】棒きなこ当て 徹底リサーチ
2013年の記事では、西島製菓について「墨田区錦糸にあるメーカー」としかさらっと書いていませんでした。棒きなこ当ては、駄菓子屋4代目として “超重要駄菓子アイテム” と断言できる逸品。改めて徹底的に調べ直したので、このメーカーと商品を、ちゃんと記録しておきます。
西島製菓は、きなこ棒ひと筋68年の会社
公式サイトに書かれている通り、西島製菓は昭和33年(1958年)創業。2026年で68年目になります。驚くべきは、創業からずっと「きなこ棒」ひと筋でやってきていること。
- 社名:西島製菓
- 創業:昭和33年(1958年)
- 所在地:東京都墨田区錦糸(ロッテ会館の裏手、JR錦糸町駅徒歩圏)
- 商品:きなこ棒ひと筋(棒きなこ当て、棒きなこ)
- 販売形態:卸売・直売(工場で直販、「小売り致します、1箱300円」の看板あり)
- 公式サイト:nishijima-seika.jp(2023年5月開設)
創業からずっと一品一筋。これはお菓子の世界でも相当珍しい。きなこを水あめで固めて棒に刺す、たったそれだけの商品で、68年続いている。これは “工芸品レベルのロングセラー” です。
「どりこ飴本舗」の謎——昭和の伝説飲料「どりこの」との接点
棒きなこ当ての箱をよく見ると、「どりこ飴本舗」と記されています。これ、ずっと気になっていたのですが、「どりこ」とは何か?
調べると、極めて興味深い事実が浮かび上がりました。
昭和初期(1929年頃〜1944年)、大日本雄弁会講談社(現・講談社)が「どりこの」という清涼飲料水を製造・販売していたのです。
- 発売元:講談社(当時の大日本雄弁会講談社)
- 販売期間:昭和初期〜昭和19年(1944年)
- 「聖水」と呼ばれるほどの大ヒット、戦前の大衆を熱狂させた
- 太平洋戦争の激化により製造中止
- 戦後一時復刻されるも、開発者の死とともに消えていった
- 現在レシピは失われ、再現不可能な “幻の飲料” として語り継がれる
- 宮島英紀『伝説の「どりこの」 一本の飲み物が日本人を熱狂させた』(2017年)が詳細に追う
西島製菓の「どりこ飴本舗」が、この伝説の「どりこの」と直接の関係があるのか、それとも音韻や語感を借りた命名なのか——公式には明言されていません。ただ、昭和33年という創業時期(戦後まだ “どりこの” の記憶が残っていた時代)に、わざわざ「どりこ飴」と銘打ったのは、何らかの意図があったはずです。
可能性として:
- 戦前にあった「どりこ飴」というお菓子(またはどりこの関連商品)があり、それを継承した
- 「どりこの」のブランド力・連想を借りて、滋養強壮・子ども向けという打ち出し方をした
- 戦後復刻版の「どりこの」との技術的・人的関わりがあった
いずれにせよ、”どりこ飴本舗” の屋号には、昭和初期の日本を熱狂させた “伝説の飲み物” の記憶が宿っている可能性が高い。駄菓子の箱に、こんな歴史の深みが潜んでいる——これが駄菓子の面白さです。
棒きなこ当ての “超重要駄菓子” たるゆえん
では、なぜ繁田は棒きなこ当てを “超重要駄菓子アイテム” と断言するのか。理由を整理します。
① 「個包装されていない」最後の砦
2026年現在、ほとんどの駄菓子は衛生面・鮮度保持の観点から個包装されています。しかし棒きなこ当ては、一本一本が串に刺されただけで、箱にそのまま入っている——昭和の駄菓子屋の原風景そのままの売り方。
これができるのは、水飴で固められたきなこという素材が、空気に触れても劣化しにくい、という特性があるから。昔ながらの製法が、昔ながらの売り方を可能にしている。
② 「当たり付き」= 駄菓子屋の根幹
一本10円、串を抜いて赤い色が付いていると当たり、もう一本もらえる。この “当て物” 文化こそが、駄菓子屋を駄菓子屋たらしめている中核要素です。
- 一発勝負のドキドキ——10円で、もしかしたら20円分食べられる
- 子どもの経済感覚を育てる——確率と期待値を体感する最初の体験
- 駄菓子屋の店主との対話が生まれる——「当たったよ!」「よし、もう一本」
- 記憶に深く刻まれる——当たった瞬間の喜びは、何十年経っても忘れない
近年、”当たり付き” 駄菓子は衛生・景品表示法・流通の問題で減少しています。それでも棒きなこ当ては、創業68年、ずっと当たりの仕組みを守り続けている。これはもう文化遺産。
③ 「ひと手間かけて売る」最後の商品
2013年の記事に「レジでひと手間かけて販売する商品」と書きました。棒きなこ当ては、駄菓子屋で、箱から店主が1本ずつ取り出してお客に渡す。お客は、串を抜く。当たりか外れかを確認して、店主に見せる。
この “対面儀式” が、駄菓子屋という場所の空気を作ってきました。コンビニでは絶対に生まれない空気です。棒きなこ当てを売るたびに、駄菓子屋4代目として「ああ、これぞ駄菓子屋」と思います。
④ 原材料のシンプルさ——きなこ・水あめ・砂糖・串
添加物も保存料も要らない。きなこ・水あめ・砂糖・竹串——これだけで68年続いている商品。昭和33年の職人さんのレシピが、2026年の子どもの口に届いている。
原材料のシンプルさでは、沼津ほさかの栗せん(手亡豆・水・砂糖・卵)や神戸の鴬ボール(もち米・小麦粉・砂糖・植物油脂・食塩・水飴)に通じるものがあります。シンプルな素材で何十年も続く商品——これは日本の菓子文化の底力です。
墨田区錦糸という土地
2013年の記事では「大阪名古屋が駄菓子メーカーが多いように思っていたが、墨田区にも多い」と書きました。
その後12年、改めて墨田区・向島エリアの駄菓子メーカー地図を眺めてみると、本当に密集しています:
- 西島製菓(墨田区錦糸)——棒きなこ当て
- やおきん(墨田区石原)——うまい棒
- セコイヤ(墨田区)——昔のあさみつ系
- 加藤製菓(墨田区向島)——やわらかいか、揚げあられ
- 植田製菓(墨田区)——ピーナツ関係
- (周辺の葛飾・足立含めるとさらに多数)
東京の下町——隅田川の東側は、戦後からずっと庶民の駄菓子工房地帯だった。墨田区の路地裏で、創業何十年の家内工業的メーカーが今も細々と作り続けている。これが東京の下町の底力。
そして2012年のスカイツリー開業以降、墨田区は観光地化が進んで地価も上がりました。それでも西島製菓はしっかりその場所に残っている。錦糸のロッテ会館裏手で、毎日きなこ棒が作られている。これは本当に貴重な光景です。
工場見学について
2013年の記事の最後に「工場見学に伺いたい」と書きました。実は、西島製菓は公式サイトに「工場見学」のメニューがあり、受け入れをしているとのこと。
公式サイト(nishijima-seika.jp)の「工場見学」ページから予約できる模様。駄菓子屋4代目としても、ぜひ一度訪問してレポートを書きたい——これは今後の宿題にします。
最後に——駄菓子の「文化財性」について
棒きなこ当ては、ただのお菓子ではありません。
- 戦後の東京下町で生まれ、
- 昭和初期の伝説飲料「どりこの」の記憶を名前に宿し、
- 個包装せず、当たり付きで、ひと手間かけて売られる、
- 原材料は昔のまま、
- 68年続いている
これは日本の駄菓子文化そのものが凝縮された、文化財級の商品です。失ったら二度と戻ってこない。だから駄菓子屋として、絶対に扱い続けたい。
当店では店頭で販売しています。もし未体験の方は、ぜひ一度、串を抜く瞬間のドキドキを体験してみてください。10円で手に入る、昭和33年からのタイムカプセルです。
※ 参考:西島製菓 公式サイト、Wikipedia「どりこの」、デイリーポータルZ「幻の飲料『どりこの』を追う」(2010年)、宮島英紀『伝説の「どりこの」 一本の飲み物が日本人を熱狂させた』(2017年)
※ 関連記事:沼津ほさか栗せん 復活の記録、植垣米菓 鶯ボール 関西のソウルフード、ソースせんべい 関東の壁——シンプル原材料・何十年ロングセラー・地域に根ざした銘菓シリーズに、下町の棒きなこ当てを加えておきます。
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