通読 伝馬町の歴史文

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すっかりさら地になった旧店舗。
今日は地盤調査が入りまして、予想通り浅い所は緩く、地下水も出るので深く掘り下げる必要があることが分かりました。
旧東海道は水害を避けるために少し土を盛っているから、柔らかいし傾斜になっている、とは聞いていたんですが…
さら地になって改めて見ると、本当にかなり傾いてました。

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で、掘る時は絶対この目で確かめたかった、ガレキの存在。
やっぱり何か出てきたようです。
遥か昔ここに建っていた建物のコンクリートの壁か基礎か。
他にも赤い瓦のようなものが沢山。
おそらく、昭和20年6月19日の静岡大空襲の残骸です。

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その辺りの話をする時に必ず思い出すのがこの冊子。
戦時中に産まれ、おにぎりで有名な「天神屋」の社長として最も厳しい時代を生きた望月哲夫さんが書きためた「通読 伝馬町の歴史文」
当時の様子を実際に生活していた人の視点から詳しく書かれていて、これが僕はたまらなく好きなのです。
奥様の介護や自身のご病気にも負けず、伝馬町の歴史や自叙伝を簡単な冊子にして伝馬町の家々に配られたり、またお年にも関わらずFacebookやブログなどでも積極的に情報を発信されています。
こうした具体的な行動で物事を伝える姿勢には本当に頭の下がる思いです。

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昭和15年の大火後に新築された天神屋さん。
ウチのすぐ近くです。
右の写真は文房具の竹内さん。

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マイホテル竜宮さんの新築の時。
早く復興するため残骸は土中に埋めてしまうから、この辺りはどこも何かしら出るようです。
自転車など形の残っているものが出るのはすごい!

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昭和20年の空襲だけでなく、昭和15年の静岡大火の記憶も書かれています。
二度の大きな災害で、伝馬町は歴史的な建築物はあらかた失ってしまいました。

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東海道屈指の宿場町だった府中宿、きっと色々面白いものがあったんだろうなぁ…
この時当店も二度焼失→新築しています。

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そして静岡大空襲、終戦。
その日の出来事が実に生々しく書かれています。
静岡の中心市街地を効率良く焼く為、まず輪っか状に炎の壁を作られた。
その第一発目の焼夷弾が望月さんの家に着弾したそうです。
その後の復興の大変さたるや、推して知る事も出来ません。

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戦後の当店はというと、こんな感じだったようです。
小売に卸しに、遠くから足を運んで頂いて、それはそれは大変な活気があったそうです。
今後も何が起こるか分かりませんが、これから出来る新店舗でもこの活気に近づけたいものです!

この辺りの話は、会社概要でも詳細載せています。

ABOUTこの記事をかいた人

フリーペーパーの編集、量販店バイヤーを経験したのち、実家の家業である菓子問屋「あまのや繁田商店」を継ぎ4代目に。 旅とバイクとコーヒーが好き。