お菓子帖 「ふたつのサクマ」

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小学生の頃なぜかウチにあって、穴が開くほど読みました。
初版1995年、綱島理友「お菓子帖」
どこかの雑誌か新聞に、コラム連載されていたものを集めた本です。
ふと思い出して、amazonで購入しました。1円で!

サクマドロップスには「佐久間製菓 最高級」と書かれた池袋本社の赤い缶と、「サクマ製菓 高級」恵比寿本社の緑の缶があって、戦争によって分かれてしまったという話。
今でこそ割と皆よく知ってる話ですが、当時は衝撃だったので読み返してみました。

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「ふたつの佐久間」から抜粋

サクマ式ドロップスというのは、明治四十一年、東京の佐久間惣次郎商店から発売されたドロップである。
それまでのドロップは相当にひどかった。
何がひどかったって、その品質がひどかった。
なにしろ夏になると解けるのは当たり前。
普段でもその一粒一粒に透明感は無く、澱んだ色のアメだったそうである。
しかし佐久間惣次郎というオジサンは全てを改良し、夏になってもとけず、酸味料を入れることによって透明感の有る今のようなドロップを作り上げたのだ。
これを世間では佐久間式製法と呼ぶ。

何が二つの会社に分裂させたのかというと、それは戦争であった。

戦前、サクマ製菓というのは大きな会社だったのだが、戦争で砂糖の供給が止まり、ドロップなんて平和的で戦いに何の役にも立ちそうにないものを作っている会社は解散せざるをえない状態になってしまったといのである。
そして敗戦。戦後に会社再建という事になり、気が付いたら日本各地にサクマ製菓と名乗る会社が五社くらい出来ていたそうなのだ。
で、自然淘汰され、最終的に今の二社が残った。
業界ではこの二つのドロップ缶の事を赤缶、青缶と呼んでいるそうである。

池袋の佐久間本社の広報担当さん「ウチは戦前の社長の息子さんが起こした会社で、あちらは番頭さんだった人が起こした会社。結局、訴訟の結果、あちらがサクマ式を取って、こちらはサクマ製菓という会社のカタカナ表記を認められたワケです。」

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あー、今読んでもやっぱり面白いし、実際に足で取材した人の話はネット時代の今とちょっと違います。
また記事紹介します!

ABOUTこの記事をかいた人

フリーペーパーの編集、量販店バイヤーを経験したのち、実家の家業である菓子問屋「あまのや繁田商店」を継ぎ4代目に。 旅とバイクとコーヒーが好き。